2010年11月24日 (水)

泥濘

人嫌いは相変わらず。
この歳になってもだ。
完全に興味を失っている。
別に誰が何をどうしようがどうでもよいのだ。私に悪影響がないのならば。
理解できない悪口雑言の群れ。
人の振りして集団に混じっても相容れるわけもなく。
誰かと話すのも億劫になるというのに、仕事は対人が基本。
心底煩わしく、皮肉なことだ。
今までのツケでも払っているのだろうか。
適当に生きすぎたか。
それなりには、仕事に関しては誠実に生きてきたつもりだったが。
……あぁそうか、人間単体を呪わずとも世間一般を呪って生きていたのだった。
すっかり忘れていた。
人を呪えば穴二つ。理解していたつもりだったのに。
それならば仕方がないのか。
私が人を嫌いである限り、この連鎖が消えることはないのだろう。
親しみも理解もない相手とは、友好的な関係を築くことはできないのだから。

眠い…

ムックの暁闇を聞く。
相変わらずだ。
何も変わらんのだな…結局。

2009年10月30日 (金)

忘れる

気付けば記事タイトルが2連続で忘れてただった。
本当によく物事を忘れる。
次は何を忘れるのやら。

頭の中はぼやけていて、明確ではない。
思い出せないのか、それとも知っているつもりになっていただけで本当は知らなかったのか。
あまりにぼやけ過ぎて、一体これは忘れたのか知らなかったのかさえも掴むことが出来ない。

色んなことが滑り落ちていく。
この意識が感じるあらゆる種類のものが霧散していく。

私は忘れているのか、知らないのか、思い出さないようにしまい込んでいるのか。
区別がつかないならば、もはや同じなのかもしれない。
記憶に変化があって初めて、どれだったのかが分かるのだろう。
それまでは、私の中から消えている。
新たに感覚が生まれるまで、無いも同然なのだ。

2009年8月28日 (金)

超失敗

ものすごい勢いで投稿失敗してたので削除。
なぜケータイから見るとフォントの色が変わってないんだ…。
なんのための黒背景なんだっていう。

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2008年11月13日 (木)

将来の夢想

何歳まで、生きるだろう。
40? 50? 60?
意外に長生きして80くらいまでいくかもしれない。
死因は何かな。
うちの家系なら間違いなく高血圧とか心臓病とか糖尿病とか発症するけれど、やっぱり癌かなぁ。
大腸か胃が有力候補なんだろな。
何歳で発病するのか確実に分かればいいのに。
そうしたら万全の準備で挑める。
50前後が怪しいよなぁ、やっぱり。
入院費まかなうために保険入っとくべきだろうか。
それまでに貯金すれば何とかなるかな。
ちゃんとした職につかないとな……。
その時、私は一人なんだろうか。
否、一人だろう。
いつ倒れてもいいように、携帯は側に置いておこう。でも意識を失ったら何も出来ないか。
いつか死ぬその時は、この生に対する執着が消えているといい。
今はまだ、死は恐怖でしかなく受け入れられるものではないけれど、歳をとればきっと消えてくれるだろう。
そうでなければ、恐怖を抱えたままの死になる。
そんなものは想像を絶する……。
50まで生きられればいい気もするが、それでもやはり、しがみつくだろうか。
今だったら間違いなく死に汚い。
死が今訪れないことを願うばかりだ。
家族より先に逝くわけにもいかないし。
ああ何で死は消滅であるのに、手続きやら葬式やら面倒なことになるのだろう。
私の死くらいならば、葬式などしなくても受け入れられるだろうに、葬式やらないわけにもいかないんだろうな。
家族にやらせられる筈がないのに。
親戚も全て絶えてから死ぬなら大丈夫なのか?
ああでも、兄貴のほうは血が続くのだ。
可哀相に、私が親戚などと。
失踪すりゃいいのか?
それはそれで大変そうだ。
……何だか思考が逸れたな。
ああ、未来の目的も夢も意味もなくとも、現在があるならば、私は生き続けたい。
いつか生に執着する意思が消えたその時に死ねるなら、どんなにか幸運だろう。

2008年9月 8日 (月)

カンに障る

私を怒らせるのが随分上手い人間がいる。
どうしてこういうことを言い出すのか、考えるのか、さっぱり訳が分からない。
空気を読むとかそういうことじゃない。
自分の頭でちょっと考えればいいだけの話だ。

あぁそうだ、何度も捨てようと思ってきたのだ。
その度にズルズルと続けてきた。
また今回も続いていくのか。
カンに障る、耳障りだと思いながら振り払わないのは、それはそれで面倒なことになるからだ。
拾うのにも捨てるのにも労力がかかるなんて、煩わしすぎる。
それがまた、一つじやなくて複数だから、余計に欝陶しい。

2008年3月22日 (土)

暇潰し

物理分野は触りしか勉強しなかったので、専門外である。

専門書も一切読んだことがない。

ということを踏まえて。







さて、時間というものは何度考えても不思議である。

いつも本当にそんなものが存在するのかと疑っている。

概念ではなく本当に時間というものが存在するならば、恐ろしいものだ。

時間とは一体なんなのだろう。

全く想像がつかない。

ただの概念ではないのか?

生物に等しく流れるものだと言われてはいるが、人と自分に流れる時間が同じだとどうして言える?

例えば時間というものが存在するとしたら、ふと時間の流れの早い空間を通り過ぎて一人だけ余計に歳をとっているかもしれない。

大体にして、そもそも人と同じ空間にいるなどとどうして言える?

そこに見える人間が本当にそこにいるかなんて、触らなくては分からない。

触ったとしても分からない。

ただの幻かもしれない。

私の頭の中で勝手に作り上げた像かもしれない。

触ったところで、質感、温度すら頭の中身の産物かもしれない。

どれが本物でどれが偽物かなんてことは、きっと一生分からないのだ。

こうやって見える、聞こえる、触れる、身体の器官から伝わってくる世界は、いつだって私の頭の中で作り上げられたものに過ぎない。

今、暇を潰している私は時間の流れがゆっくりと感じられている。

私の頭の中で、時間が遅く流れているように感じられている。

ならば、今私に流れている時間は、人より遅いのではないか。

もうすぐ用事が始まれば、時間は人より早く流れるのだ。

曖昧な現実の中で、私にとってはそれが真実なのだろう。







あぁ、早く用事始まらないかなぁ。

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2008年3月 3日 (月)

結婚というもの

一夫一妻の結婚という制度は不思議なものだと思う。

ついでに結婚を急ぐ意識というのも不思議だと思う。

なんでそんなに結婚するのだろう。

ただでさえ結婚というものの意義が私には分からんのである。

まぁ・・・子供とか育てる場合にはいいよね?という程度だろうか。

でも一人の育てる範囲を広げれば、わざわざ固定の一人なんて要らんのよね。

一夫一妻の家族だから固定になるわけで、数十人の家族とか集落の単位とかにすればいいのに。

それともなんかあるのかな。

私が分からんだけで、普通の人は分かっているようなことがあるのかもなぁ。

割りとそういうこと多いしなぁ・・・。

不思議だ。

何でこんなに人と違うんだろう。

今では人と自分のずれを誤魔化しながら生活していく知恵を身につけたけれど、昔はいちいち納得できないことばかりで神経を尖らせていて疲れたものだ。

多分大きな何かが欠如しているんだろうなと思う。

どこからこんな風になったのか、今となっては分からない。

小学生とか中学生とか、割りと普通の女の子やってた気がするんだがな。

尤も後悔なんてものはサッパリしていないので、私はこれでいいのである。



誰かと手を取り合って進む未来なんてものが私にとってはおぞましいだけで、それを否定しようとは思わない。

他人が誰かと手を取り合おうがどうでもいいのだ。

誰かと共に歩く未来は、心のよりどころがある分、安心感があり、軽やかに穏やかに進むことが出来るのかもしれない。

けれど私には、自分の心の主柱を他人に置くことなど出来ない。

自分の幸福を他人に求めたところで得られるとも思わないからだ。




まぁ・・・結婚式に呼ばれている身でこんなことを言うのも大概いかれてるが。

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2007年12月22日 (土)

外で接するもの全てに

例えば顔。

例えば喋りかた。

目つき。

体型。

声。

性格。

どれ一つとして平均に遠く及ばない。

見た目などそんなに気にしない人もいるかもしれないが、喋りかた――口下手と籠もるような声は見た目以上にどうしようもない。

だから人に会うのは怖い。

出来ることなら外には出たくないのだ。

自分の内、自分の殻だけでも楽しめることは幾つもある。

しかし内にも楽しみはあるけれど、外の方が楽しいことを知っているから私はこんなでも外に向かう。

不安と恐怖は忘れても、常に気後れを感じながら。

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2007年10月 6日 (土)

去れば空に仰ぎ見る2

 小さな君に、秋の空。

 幸無き道と、愛の里。